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みかんせい人 たなかともこ ちきゅうを歩く

常にみかんせい(未完成)は常に変われること、あれもこれもオモシロイ。

相棒達について

※「見える」「聞こえる」は体の器官としての目・眼・耳をとおして認識すること

 「視える」「聴こえる」は脳で認識すること、として使っています※

 

 

堂々と「龍たちとドラゴンがいつもいます」とか

話してます、とか書くけど

実際 とても世間の目は怖いです。

 

 

でも 認識出来るし。

わたしのはうっすら、でだけれど。

脳内で行われる会話だって いまだに一人芝居かとおもうし。

 

 

それでも

「視えません」って一生懸命言ってまわる必要ないし

視えたからって 人生得するかっていうと

わたしの相棒達はスパルタだから

私がじっくり考えて自分で動くのを見ている

だいじなところではきっと 後押しくれてると思うけどね。

 

 

それはさ

「おばあちゃん」だったり「なくなった親」だったり、が

ピンチの時にそっと力をかしてくれているって

根拠無くてもみんなが当たり前におもうような

そんなもんだよ。

 

 

 

私は 父にずっと言われてきたことがあって

「誰かの言葉は 一度受け止めなさい

自分をゼロにして受け止めなさい

それからだ、自分の気持ちで反応するのは」って。

ずっと 心がけてきている。

100%じゃないだろうけど80%は出来てると思ってる。

 

 

そうするとね

見えないモノ の話をする人達のことばも

受け止めたあとに ふうん、そっか って思うくらいになる。

 

 

視えても見えなくても 変わらないでしょう?

聴こえても聞こえなくても 判断は結局自分でするのでしょう?

 

 

 

で。

いろんな意見をとりあえず受け止める、が出来るようになると

聞こえなかったのが 聴けたり

見えないモノが 視えてきたり

するみたいだよ。

 

 

私は

いろんな可能性やいろんな景色を見ないで否定するより

見たことないものを見て・視て

感動してる方がすきなんだよね。