みかんせい人 たなかともこ ちきゅうを歩く

常にみかんせい(未完成)は常に変われること、あれもこれもオモシロイ。

ホントの望みは掘り起こさなきゃいけない。

思い出したんだけど

私 自分がなにをしたらいいのか、って

ずっと考えてたときがあったんだ

 

 

肩書き ってのを人生の中で

何度か捨て去ってきて

特に今回は

私を知る友達も家族もいなくて

2児の母 という自分だけで

なにができるだろう

なにをすべきだろうってね

 

 

お金をかせぐ「べき」だとおもった

自由になるお金があれば

好きなことができるから・・・

(・・・好きな事ってなに?というところは置き去り。)

 

 

でも今ははっきりとわかる。

大前提としてね 私達ひとりひとりは

自分の人生の主人公であり

決められたシナリオなんてなくて

全部「自分で決めて良い」って言われて生まれてきてる。

 

 

使命 なんて自分のやりたいと決めてたことをそう呼ぶだけ。

新しい使命(世界を救うスーパーヒーローになる、とかね)ってのは

いつだって そうと自分で決めた時に

成立するんだ。

 

 

何をやったらいいか分からない ってのは

ラッキーだと思う

何をやらずとも 今の人生が動いてるってことでしょ

だからゆっくり 考えて 選んでいい ってことでしょ

 

 

多分ね これからの時代には

「○○になりたい」というのは無くなっていくんじゃないかな

これをやりたい、だからそれを仕事にする方法を考える

そんなやり方の時代が来る。

というか もう来始めてる。

 

 

お金を手にしたい

だけでは 自分の決意が弱すぎるんだ。

お金を手にして はやくリタイアしたい

そして悠々自適で暮らしたい

そこには 自分の本当の人生の目的が抜けてる。

 

 

テストでいい点とってたら いつか幸せになる

って話にはみんな「ないない」って言えるのに

「お金が沢山あったら 幸せになれる」

って言葉は 何故そのまま受けとるんだろう?

 

 

 

「なにをやればいいんだろう」 と

「お金がほしい、それさえあれば」と

「しあわせになりたい」とは

繋がってるけど繋がってない。

繋がってるのはただ一点だ。

そこが分からなかったら「お金が欲しい」は手許に来ない。

 

 

 

 

肩書きはお金をつくらない。

でもお金の入りやすい肩書きはある。

信用だけ もお金をつくらない。

信用の代わりに お金が使われることはある。

 

 

時代はどんどん動いてる。

昔ながらの考え方やリスク評価は

役立たない時代に入っている。

 

 

選択できる、という凄く大きなアドバンテージをもって

私達は自分の根源にある譲れない物を

もっとはっきり掘り起こさないといけない。

それがわかって 初めて

「これがやりたい」

「これを提供できる」

「お客さんが満足してくれて自分も満足」が生まれる。

 

 

 

それほどにシンプルなこと。