隠されてるホントのたなかともこを経験してもらった(違
自分の奥深くで違和感を感じるときに
ひそかに外へSOSを出す時期が私にはある。
コーサカヒトミさんの30分無料コンサル、が目に入ったのは
まさにそんなときでした。
ものすごく迷いました・・・彼女にはちょっと興味があったのですが
無料だったので めちゃくちゃためらったんです。
無料をバカにしている訳じゃ無くて 怖かったのです。
「他人の時間を 私の整理がつかない違和感に使わせる」ということが。
お金を払っていればある意味
「その時間買わせてね」が表明できるけど
無料の時間→何が何でも私の質問自体を「掴みやすい状態」に
仕上げておかねばならない、相手を大事に思うなら!
という強迫観念が ものすごくありました。
※このレポでは沢山の「私の思い込み」がばんばん浮かび上がります。
とりあえず「思い込み」=自分では正当だと信じてる と気付いたものは
この色で ハイライトしていきます。
ここしばらく私が捕らわれてしまって
“見渡し判断し自分の基準で選択する”ことが(ここ、私の理想)
とことん できなくなっていたことは
「自分のマイナススタートを埋めるために
他のヒトと接し 話し なにかを掴んでいく という作業を
敢えてしていないか」
「提供できるもの、を探したはずが
このマイナスを埋めたい、という下心を満たす
そういう目的から始まってるんじゃないか」
ということ。
全然《一言》にまとまってませんがね 笑
マイナススタートでは欲しい結果がぶれる、という思い込み。
誰だってスタートはマイナスだ!と言う意見もチラチラ見ますが・・・
マイナススタート、つまり自分が足りない、と思ってる状況ですが
自分の「ない」ことに集中してしまって
努力がムダになっていく(全然効率的でない)状況。
−100スタートで−50まで上げても まだマイナス=自分が苦しくなる
自信も成果もあったもんじゃないです。
手っ取り早く《自分を信じる》が 出来るようになるには
行動した結果として見える事の積み重ねを認める はよく言われること
(そして私もそう思う) ならば
成果が出ることをしてなんぼ。
後から出てきますが 私は「これくらいやってて当たり前」という
よくわからん基準を自分に課していて
=そこそこ、ルーティンタスクが多い
だから 努力は最小限・できるだけ効果のあるもの を希望。
前提として「当たり前、はこなして当然」=出来ない自分は許さない
えええっと。
この時点で 私がムダに考えすぎる というのは見えますが(爆笑)
そして これまで沢山の人に指摘されてますが
まぁ、悪いクセなんです。
こうあるべき、の自分と そうならない自分のギャップに気付いたとき
普段なら心がけてやっている「二歩下がって眺める」が出来ない。
いや、その自分のギャップはどこから?って
近眼なんで むしろ目を近いところへ持って行ってしまう。。。。
あ、近眼関係無いね 笑
レーシックしてるからむしろ 老眼症状強いしね 笑(←違
目が近い=自分の頭部を 問題の真ん中に寄せてしまう と
自分から 渦巻く土石流に落ちていく・・・・←めっちゃ視覚優位な感覚
で、これが始まると
「ちょっとまて!仕切り直し!」と 定位置に戻ってみるのですが
(一応、間違ったステップがどこかは分かってるつもり)
二歩下がろう・・・・という時点で
すでに土石流に足をとられている、という
そんな状況として捉えてるのが 私の「ぐる2」です。
あああああ長い。・・・・
コンサルの報告の前にこんなになってる時点で
私の混乱がよくわかる 滝汗
つづきます。