番外編 最近のサウスウエストの旅で。
さーて、ともこ語りのお時間です 笑
実は一時期、なんでアメリカのこんな山奥に住んでるかなぁ、と
ぼんやりとですが理由を探していた時期があります。
しかも出戻ったしな!!!笑
現実的にアメリカでのキャリアを続けたかったオットに
仕事のオファー先が2年待っててくれたというのは
本当に有り難いことなんですが
「なんで私がここにいるのか」は
不思議で 知りたかった。
自分のなかの見えないはずのものとの付き合い方に
困惑していた時期でもありました。
今まであまり言わなかったけど 結構しっかりした
「呼ばれた」感がありました。
特別とかそんなのではないのです。
ただ「知りたかったモノ」を
自分の中から引っ張り出してイイよ、くらいのかんじ。
先日のニューメキシコ旅の最終日に
思いがけず飛行機が遅れ
行く予定の無かったペトログリフ・ナショナル・モニュメントへ行き
なにかがぐるっと繋がったかんじがあったんですよね。
循環。
命がつながっていること。
なにかを見失ったときに 同じように悩んだ先人達が
あちこちにおいていってくれたマイルストーン(道標)。
いろんな時期に様々なひとと文化が混じり合い
「共存」を模索し
悲しみの記憶とセットになった
現在を生きる命への賛歌のようなもの。
奇蹟を起こす砂。
それは沢山の祈りがこもったものとも言えるかも。
アメリカインディアンと自らを呼ぶ人達は
ただ時間の流れを「お日様」「風」「雨」などと同じように
大事に でも当たり前のものとして
享受して生きてる。
人生に大事なこと、
「豊かさ」の意味なんかを
言葉にならない深いところの理解としてもらった気がします。
(でも言葉にする努力は、するけどな!)
今年はギリシャも行く予定。
きっと 言葉に出来ていない部分を補完してくれる
そんなものにも出会えるのじゃないかと思っています。
時間というもののなかに在る私達。
「必ず死が訪れる」という約束の中に在る命。
最近のサウスウエストの旅では
多分 そのテーマの元に
「美しさ」の形、「豊かさ」の奥深さを
教えられたんだなぁと思っています。