みかんせい人 たなかともこ ちきゅうを歩く

常にみかんせい(未完成)は常に変われること、あれもこれもオモシロイ。

もののエネルギーの対処。

特に最近は

エネルギーあたりをします。

 

 

あ、勝手に作りました。

暑気あたりとか 食あたりとか(似てんなww)

そんなかんじ。

 

 

人に酔うようなエネルギーあたりもありますが

「使われていないもの」の

エネルギーあたりは結構来ますね。

断捨離なんかで

運がよくなったとか流れがきたとかいうけど

きっとこういうエネルギーが渦巻くところが無くなるからなんでしょうね。

 

 

今直している建物は

購入時家具が全部置いていかれました(苦笑)

まぁ、どんなやり取りの結果かは

思い出すだけでむかつくんで書かないですけど

とにかく・・・・

close(購入手続きを終えたということ)したとたん

水もれ被害が出ましてね

まぁこれも 理由在ってそうなったんだなという感じなんですが

それらの家具 かなり汚れたんです。

 

 

本格的な直しが入る前に

全部貸倉庫*1にうつすことにしました。

でも もの凄いホコリなので

運送業者さんが入る前に

朝からひとりでお掃除。

 

 

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さっと拭くとこうなる・・・

どんだけヒドイのだ・・・・

掃除機かけて、拭いて、クリーナーを吹きかけてまた拭いて。

拭きながら「戻って来たらまた、大事に使うからね。待っててね」と

一人で家具に話しかける←かなりへん。

 

 

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この写真の倍くらいある家具の量なんで

拭いてキレイにするのも結構・・・です。

結局 10x20フィート(3.5mx6.8m)の部屋となりました。

大きなトラック一台入って、さらにものを置ける・・・ってかんじ。

もうこの部屋なんてすっごく尖ったエネルギーだったけど

ひとつひとつ拭いていたら

少しずつ 静かな感じになりました。

 

 

 

荷物が出た家は まさにエネルギーが抜けた感じ。

ついでなんで、ちょっとレイキにて浄化しておいた。

 

 

もののエネルギーにあてられたけど

同時に「待っててね」の怪しい独り言が

それらに届いていたようだから

(尖った重いエネルギーが丸くなった)

今日は比較的 エネルギーあたりも軽いです。

 

 

あーはやく、工事終わって欲しい・・・

 

*1:結構アメリカでは普通で、小さい一部屋〜2台分ガレージの大きさなど、いろいろあります。キャンピングカーやボートを入れているひともいます。

古巣にて。

こんな 訳分からん文章を書いてますが

昔は真面目にキツい仕事?もやってたし

実は研究者の端くれだった時期もあります。

 

 

肩書きというのを全部置き去りにするのは

マズローの5段階(実は6段階)欲求のど真ん中を

すこん、と失うということでもあるんですけど

それをしてみて

初めて分かった自分というのもあったので

まぁ 後悔は全くないんですが

f:id:Tomokotmk:20170503223833p:plainwikiよりお借りしてます)

 

 

ちょっとご縁あって 日本の院生を

こちらの大学の研究室訪問に連れて行きました。

懐かしい古巣・・・(研究室は違うけど)

 

 

完全に院生の方の分野、というのとは違ってたのは承知のうえ

むしろ面白いことにチャレンジされている方なので

すこし「ずれた」科学分野を見る楽しさを伝えたく。

 

 

 

速攻で 院生のひとと私の友人の研究者とで

専門用語が飛び交う話が始まり

しかもお互い微妙に専門が違うけれど

基礎は知っている、という・・・

私が一番好きな交流です。

科学者版「異業種交流」

 

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(許可貰ってないから気持ちだけ隠しておくw)

 

 

そうそう・・・

こういう「しらないもの」「わからないもの」を

予測し実験し検証し裏をとり実用への案を練る

気の遠くなるような話でもあるのですが

科学ってこうやって進んできている

沢山のgeek*1が目をきらきらさせて

この世の不思議を少しずつ解明していく

私 この世界 好きだったんだなぁ・・・・

 

 

院生くんのラボの教授を

紹介された先の主任研究者(教授かな?)が

知っていました、研究内容含めて。

確かにニッチな研究分野ではありますが

そして友人の研究者も「ま、世界でも携わってるひとは限られてるから」と

当たり前の様に言いますが

(ワタシも昔はそういうのはアタリマエって思ってた)

実はそんなことはちっともない

情報が共有出来るご時世というのもあるけれど

「知っている事」も奇蹟

「出会いがあること」も奇蹟

奇蹟の2乗は どんなにレアか。

 

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懐かしい、昔大好きだった世界の会話と

そのレアな出会いに 神様たちのウィンクを感じたり

青春時代を思い返すような

そんな切なさと酔うような嬉しさを味わってました。

 

 

 

先端基礎科学と 未来へ進む若者。

いまやそこに ちょっと違うものをみているワタシ。

日々 地道な研究のなかから

あれこれの喜びを見出しているプロたち。

 

 

 

ほんとにこの世界はオモシロイ。

 

 

 

 

*1:和訳はオタクだけど、nerdより専門性を感じてちょっと凄いな、な気分のある言葉です。nerdもいわばオタク、でも社会性を失ってるって感じで、バカにした感じの意味合いです

心の声に耳をすます

 

自称(蔑称)セミナージプシーしていた私

(学ぶ事はいいのだけどね。着地点を見失うのはイカンよね) 

Akiyoちゃんという

シンガポール在住の才女に出会って

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いろんな意味で私の考え方は覆されました。

  彼女のサイトはこちら。↓

wisdomseed.wixsite.com

 

彼女は芸術家であり 「素」で錬金術師です。*1

でも魔法使いとか魔女とかふわふわしたものではなく

根拠と確かな腕をもっての 錬金術師。

しかもその 一般社会でのすんごい経歴に似合わず

本人と話すと ぽやーん、とした雰囲気まで持ってて

もうなんなのーーっこの人ってば!カワイイ!

私がじたばたしてしまう人なのです。

 

 

・・・あ。いかん、コーフンしてしまった。笑

 

 

この数年で私の周りには

科学とか理論とか現実 ということばでがちがちだった私には

対極っていうくらい

みえないもの をアタリマエに扱う人が

(そのアタリマエの突き抜け方もスゴイ)増えましたが

彼女もその一人。

アカシックレコード、なんて(私には)「へ?」な世界に

普通に繫がれてしまう方。

そういうひとは沢山いるんだろうけど

私は彼女の言葉の使い方、その選び方が大好き

(あ、彼女はチャネリングしてるのだとおもうのですが

結局 選ばれる言葉は それぞれのヒトを現していると思うのですよ)

相手の状態をみて

適切な所までつれて行き

あとはきちんと向き合ってからね、と出来る辺りも信頼出来る。

 

 

他人を信頼している。他人の人生を信頼している。

悪意なんてものが全くない。

研究熱心でいて 自然の摂理の偉大さも知っている。

 

 

そのバランス感覚。ホントに敬服するばかり。

 

 

話がちょっと逸れましたけれど

自分探し・深掘りをする中で

ときどき現在地や自分の向かう先が

分からなくなること、あると思います。

それはある程度 仕方ないこと。

 

 

そのときにね 彼女の「コンパスプログラム」は

絶大な威力を発揮するのです。

 

私の事で言えば。

 

 

自分に「アタリマエのこと」「強みとして認識していること」

そのあたりまではある程度分かっていたと思う。

でも「本当は何がしたかったんだっけ?」が

本当に時々 私を苦しめていたのです。

それが自分への疑いとなり 変化を畏れる心となり

何度も 何度も 同じループをぐるぐる。

 

 

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(あきよちゃんから送られてきた表紙。

 ピンクの文字は私が入れてますw)

 

 

 

そこを占星術という科学を糸口に

「自分で」キーワードを探し出し

「自分で」言葉の間を縫うようにある糸を見つけ

「自分で」心の声と行き先を見つける

だけど このシンプルに見える作業は

決してシンプルだからそう見えているのではなく

「シンプルに感じるよう」適度な距離とサポート

あきよちゃんが入れてくれているから。

 

 

 

自分で見つけ出した言葉は

当然だけれど すとん、と心の一番奥に落ちてくる。

同時に それはずっと自分の中にあった言葉で

疑り深くて理由の欲しい私は

ずっとこねくり回して それの存在を無いことにしていました。

  

 

美しいこの世界を

とことん 味わい尽くす

 

 

この言葉が出てきたとき

驚かなかった、ああ、やっぱりそうか、だった。

理由をつけたかったり

目的を見つけたかったり

それはごく 「対外的」理由で

本当は 私にはどうでもよかったこと

 

 

私の思い癖や考え方の傾向が

全部そこに根っこをおろしているということも

すぐにわかった。

 

 

私にわからなかったものは

全部後付けだったと分かったし

その後付けで悩むのも

自分がしたかったからしていたのね。(アホよね)

 

 

 

私は教えるのが上手、というひとを

本当にスゴイとおもうのだけれど

あきよちゃんの強みが 遺憾なく発揮されているなぁとおもう、

このコンパスプログラム。

 

 

 

踏み込みすぎない距離でサポートする、というのは

ホントはとっても難しいことです(私もセッションするからわかる)。

彼女が 「必要なところだけ」

それぞれのひとの本質を見て そっと手を添えてくれる。

 

 

本当に 自分が生まれてからやりたかったこと

それを自分で探して言葉にしていく

これって最強だと思う。

色々な方法で「読んで」もらってもいいんだけど

腑に落ちる度合いが全く違う。

 

 

人生で迷ったら あるいは

何に迷ってるのかも分からなくなっていたら

私は このコンパスプログラムを受けたら

他を点々とすることも減るだろうに、って思うんです。

 

wisdomseed.wixsite.com

 

 

 

*1:錬金術(れんきんじゅつ、: خيمياء : alchemia, alchimia : alchemy)とは、最も狭義には、化学的手段を用いて卑金属から貴金属(特に)を精錬しようとする試みのこと。広義では、金属に限らず様々な物質や、人間の肉体や魂をも対象として、それらをより完全な存在に錬成する試みを指す。錬金術 - Wikipedia

高校生から車の運転?!

アメリカだとねー

16歳から運転免許とれるの。

15歳になると 筆記試験だけは取れるのよ。

筆記試験通って 半年練習してると

免許を16歳になってとった瞬間から

公道を運転できるというわけ

(保険は高いよーーー)

 

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自動車教習所?

あるけど、ないわね。

そこに行かなくても

親が一緒に乗って 運転の練習させればいいのだ。

最低限の一定時間をね。

 

 

 

どこで練習するか?

大体公立の高校の駐車場かな

広いしね

なかには「練習エリア」を持ってる高校もある。

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え?そんないい加減でいいのか、って?

まぁ、車ないと生きていけない、っていう広さでもあるしね。

南米では

免許証をとるのに テストすらないらしい

そんなのも普通みたいだよ

 

 

 

・・・そんな年齢で免許とってどうするの?!って

私もそう思っていました。

 

 

 

が。

ハハを10年以上やってるとですね

アメリカの環境(公共交通機関への信頼や安全性、時間のことなど)から

切実に「もう自分で動いてくれ!!!」って思うのですよ。

 

 

 

小さい頃から友達と遊ばせるにも

まず親同士での合意や 送り迎えが必須。

私が昔やってたように

「遊んで来まーす」たったったったっ ぴんぽーん

「○○ちゃん、あーそぼっ」「いいよー」

「おばさーん、○○ちゃんと××公園で遊んで来まーす」

なんて

ありえない のだ。

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習い事もしかり

部活動(日本みたいながっつり、って言うのはまずないんだが)なんて

やろうものなら、あーた。

試合や練習のためにあちこちタクシードライバー(個人専用)となり

年中運転。

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兄弟姉妹がいたりしたら

そのスケジューリングがもう全ての鍵。

 

 

私も大概いい加減なハハですが

子供達はスクールバスがあれば全部スクールバスで

(スクールバスなんか危なくて使わせられない!という親御さんもいらっしゃる)

この数年は 公共交通機関頻用で

子供達を通学させています。

(結構「え?!」って言われる。うん。

もちろん夕方以降はこちらもかなり気をつけます。

どこまで迎えに行くとかね・・・)

 

 

 

でもそろそろ限界。

お願い、娘よ、自分で必要な時は動いてくれ。

 

 

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そーゆうわけで。

今日も(日曜日)オットが娘をつれて

運転の練習に行くのでした。

 

 

 

幸せになりたい

自分もそうだったし

セッションなんかでお会いする人のほとんどが

「幸せになりたい」って言うんだ。

で、それぞれのヒトに

「形のある幸せ」があってね。

 

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分かるんだけど・・・

そうかなぁ、って思う。

幸せってもっと普通にあるんだと思う。

 

 

たとえば

 

自分の行動が誰かの笑顔につながる のだとしたら

私にはそれって最高の幸せなんだけど

 

 

別にこの形じゃなきゃ、というのはないかも。

朝ご飯をつくる。

出てきたものを 家族が揃って食べて 他愛ない話をする

誰もが 多少の悩みはあっても

その食卓をどんよりさせるようなものじゃなくて

それって 凄く大きな幸せじゃないかな。

 

 

家のコト あんまり出来て無くても

お母さんである自分が

「ま、みんな元気だからいいか」って笑える

子供が 何かに追い立てられない気持ちでいられる

オットが「仕方ないなぁ」と思いながら

ほんわかした家の空気に和んでいられる

 

 

家 って一番手近に「幸せ」を感じて

「幸せ」をあちこちで育むことが出来る

そういう夢の場所なんだなと思う。

 

 

なんか ぽやん としたことを書いてしまった。。。

でもね 手許にある青い鳥の鳥かごは

なんか普通すぎて 見えなくなるんだよね

だから そのぽやん、としたことの大事さを

忘れないでいたいと思うし

どんなヒトにも 忘れずいてほしい、と思うんだ。