みかんせい人 たなかともこ ちきゅうを歩く

常にみかんせい(未完成)は常に変われること、あれもこれもオモシロイ。

輪廻転生のこと

輪廻転生reincarnationは

宗教もしくは哲学的なアイディアとして

でも昨今では

もっとひろく受け入れられている考えだと思います。

(まぁ特に宗教ではいろんな教え方がされているけど

ともかく ここでは「魂」が

「この世」で経験を通して成長するために戻ってくるって

そういう基本的な所だけ・・・)

 

 

他人の過去生をみるひともいるし

自分の過去生を見ることが出来るひともいるし

自分の過去生を突然思い出す人も居るし

実際 私も何かの端々に思い出すモノがあります。

 

 

でもね

暫く前から なんかヘンだなぁ・・・

そこ、ちょっと違うんじゃないかなぁ・・・と

考えていることがあるんですが

 

1つの魂がそのまんまでは 

次の人生をいかねーだろ、ということ。

 

つまり1つのタマシイが ずっとそれだけで

まるで1個の「固体」かのように存在してるわけじゃ

ないんだよなって

タマシイって 多分光で 雲みたいにあるんだよ、と

それが私の認識。

(物理を多少学んだ方は知ってると思うけれど

原子核の周りに電子は雲状の存在としてある、と認識出来る・・・世界もあります)

 

 

そして「身体」を離れると タマシイは

それぞれの魂グループ(ソウルグループ)と言われる「お里」にいき

まあ言ってみれば「同級生」たちと

経験のやり取りをするという。

 

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ちなみにこちらは「グループ魂」べつものデス 笑

 

 

私の「知ってる」言葉では魂グループなので

そのまま話を続けますね。

(ちなみに 今調べたら 

基本的な考え方をこんな風にかいてくれてるところもあった。

でも私は「海」というより「雲」で

このグループを理解してるんだよね)

 

 

魂グループは霊性の高さが基本で

かつ 同じ目的を持っていると言われます。

(くどいけど、私には家族というより同じ教室仲間のイメージ)

 

 

情報のやり取りがある、というのは

「水」みたいに混ぜたらあっという間に同じになるのではなく

「雲」の塊が 境界部がうっすら間が空いて

混じりやすくなっているところで混じる

もしくは 雲を構成する「水分子」が

全ての「経験の記憶」を有してて

混じった部分の1分子分でも十分に

経験の共有になる、ってこと。

 

 

魂グループの中でも

近いものを沢山共有していると

それぞれの「雲」の中心(核、と便宜的に呼びますが)くらいまでかぶるから

実感として 記憶として 細胞の中にのこっていく。

この雲の核同志のちかさが

現世での縁の深さなんかに直接的に響いてくる。

 

 

ってことは、だよ。

たとえば 私の前世がJという男性だとして

今の私がJの持ってたモノの3/4を引き継いでても

のこりの四分の1は 沢山のグループ内の魂が受けとっている

1分子分しかもってない「雲ソウル」もあるかもしれないけど

Jの全体の5分の1を引き受ける「雲ソウル」もあるかも。

そうすると

過去生が見られるヒトによっては

私以外のひとに「あなたは この時代この国にいたJと言う男性」と

言えてしまうということだ。

 

 

そしてそれは何の不思議でもなく・・・

現世でキョーレツなひとだったら

そのひとの1ー2分子であっても共有することで

どうしても 「その個人」だった記憶や

クセとか振る舞いとか

しっかり残るよね・・・キョーレツなだけに 笑

 

 

という前置きのもと。

私は○○の生まれ変わり、という言い方をして

他のヒトが「あら?私だと思ってたわ」と

眉をひそめる必要はまったくないのだ。という。

 

むしろおなじグループソウルを現世で見つけた、と

喜ぶべきところかもしれない。

 

 

もっと言うとね

「魂グループ」だって 結局は

1つの部屋に隔離されてる訳じゃ無い。

ってことは

現世でせっせと魂磨きに精を出すことで

隣の より霊性の高い 目指すモノが違うところへも

移動できるってことだ。

あるいはその中間に存在して

「次で絶対 隣に行くぞ!」というのもアリだということ

(悪い事すると虫になるとかそう言うのも

ある意味 これを考えるとよっくわかることで)

 

 

 

そう考えると

沖縄なんかで魂(マブイ)をいくつか落としてきたと表現したり

成長のために自分の魂の一部はともかく

大部分が現世に存在して 変化していく とか言うのもアリなわけ

 

 

1:1対応は 現世の現実の中で生きてる私達には分かり易いけど

このへんの「曖昧さ」がいつも後ろにある、って思えば

なんにも不思議もないし

誰かの言葉に 不快になったり苛立ったり

そんなのも要らんわけだ。

 

 

 

私の今生の魂の出来方って

魂の雲の核が「磁石性の網」になって

自分のいた周りの雲のなかをぐるりん、と

すくって残ったもので作り上げた、って思っている。

だから他人のモノでも

何らかの理由で「網にかかった」分子は私に取り込んだし

網にかかっても塊でない限り

私の性格の特徴としては出てこない

そんなモンだと思います。

 

 

なんと言葉にしていいか分からなかったけれど

私自身が「過去生」にあまり興味がない理由としては

「あの網に引っかからなかったなら 今詳しく知る必要ないんだよね」って

ある意味 信頼してるからなんだよね。

知っても良いと思う、知ることで腑に落とせて

更に前に進めるならね(そういうモノが知れて来ていると思うし)

でも「時期」もあるんだよね。

 

まーそういうこと。

何で知ってるのかは

私もしらない 笑