みかんせい人 たなかともこ ちきゅうを歩く

常にみかんせい(未完成)は常に変われること、あれもこれもオモシロイ。

私とお金、を考え始めた

おカネにまつわる話って

結構「壮大」って私は思ってて

書けば書くほど言葉足らず・・・と落ち込むんですけれど

学者で書いてる訳じゃ無いからいいか!

分かる!オモシロイ!って言ってくれるから

今はそれでいいか!ってお気楽になることにしました。

(FBであたたかいコメントありがとう☆)

 

お金・稼ぐ についてのシリーズです。

稼ぐこと(序章) 

借金はそんなにわるいか??? 

(少し逸れて)エネルギーの話 

お金とはなんぞや。  

お金をつかうというイメージ 

あなたにとっての「成功」を知ってますか 

実は一番難しいけど・・・ 

流量を増やす 

借金はそんなにわるいか???② 

私とお金、を考え始めた ←イマココ。

成功は 稼ぐ額か? 

悪い借金とは 

 

 

少し話が逸れます(また 笑) 

お金をエネルギーとして捉え始めたのは

自分が医師としての仕事を辞める頃だったんだけれど

つまり それまで自分を守ってきた肩書きっていう

「妻」「おかあさん」というレインコートくらいの上着

変えたときなんだけど

 

 

その時は「ビザ(査証)*1」がね

私的表現で「おまけビザ*2」だったから

働けなかったのです。

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日本で医者ってもの凄く高給取りじゃないけど

一人で生きていけるし

そこは自立、という意味では

ちょっと自信でもあったから

 

  

「稼いではいけない」条項って

あんたは役立たず、家でじっとしてなさい

と言われてるみたいでね

今思うとかなり落ち込んだんだよね。

(いや、そこはそう捉えず

養って貰って』って政府に言われてるのね、うふ」くらい

図太くなっときゃいいとこです。)

 

 

 

だから制約・条件付きというところで

稼ぐ、ということを本気でチャレンジ始めたんだと思う。

(当時のオットは安月給でした*3。)

 

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2度目の渡米後は オットの立場も安定したので

そしてあの3.11があったので 

不動産投資を始めたのだけど

「お金をつくったらそれらを寄付や将来の夢の資金に」なんて

言えることはなかった。

理由はふたつ。

 

 

1)そもそも、私はお金エネルギーの流れをつくるひと

  (つまり貯めるのに向いてない)

  ※主婦は使う一方だから、その意味ではまだ向いてる

2)「手放すのが怖い」「減るのが怖い」という

  本能的な気持ちの強さを知らなかった

 

 

1)は結婚してからいろんな事を通して

うすうす気付いていたものでした。

2)は。。。。まさか、まさかの。でした。

人間って稼ぐと貯めたいんだな、

手放すのが怖いと思うんだな という

殆ど本能レベルの気持ちにびっくり。

会社の利益を次に回す、ってことに

決断と覚悟が必要なんて思わなかった。

(この時オットの収入で十分やっていけたのに

 私は会社利益を「運用」することに

 ものすごく抵抗があったんです。)

 

 

1)に関してはまた

別のところで書きますね

(書く書く詐欺にならないようにしないと・・・ww)

 

 

2)こそお金というものに人間が振り回され続ける

その根本のところに根ざすもの。

もともとは動物として「蓄えている食料」がないと

命の危険が、ってところね。

そしてこの行動は お金エネルギーに

大きなブレーキとなるものなんです。

 

 

その正反対のものを内包した「お金」を考え出したら

本当に訳分からない、という時代が

しばらく続いてました。 

 

 

 

*1:査証とは国家が自国民以外に対して、その人物の所持する旅券が有効であり、かつその人物が入国しても差し支えないと示す証書である。wikiより。

*2:たなかともこ的にはJ2とかH2とか、つまり配偶者ビザとよばれるものは「まぁおまけで、家族だからしかたないよね、来ても良いよ」というオマケ感覚(=結構悔しい)だったのだ。

*3:アメリカのレジデント(研修医)も日本の研修医も、本当に安い賃金です。しかもオットの最初の研修場所はNYC、マンハッタンのど真ん中。私が黙って日本の自分の貯金を切り崩してたのをきっとオットも気付いてたんだと思う、それがフェローシップは生活費のバカ高いボストンじゃなくユタ州で、という選択を彼がした理由となりました。